History
1963年8月 | 川崎航空機工業株式会社の製造する製品の販売会社として、林 俊三が川崎航空機サービス販売会社を創設。 自社製品、航空機機材、旅客機727エンジン台車、航空機誘導ドーバー、瞬間ミキシング装置、軽量排出装置など、開発実績を積む。 発動事業部よりKLSL型シリーズ産業車両部門の製造を引き継ぐ。 尚、全国的展開を目指し販売補充を行う。 |
1968年 | メキシコオリンピック協会人体操装置設計製作を担当。 |
1968年8月 | 川崎機械工業株式会社と社名変更。 川崎航空機工業株式会社増産に伴う協力事業要請により、他社受注品を受け継ぐ。特に精密歯車を単体商品として製造販売に着手。 着手より1年半、製造技術及び品質管理その他に対し指導を受ける。 |
1969年 | 高圧ポンプテストスタンド装置、設計製作担当。 能力耐圧 3200kg/cm2 設置場所 川崎航空機工業株式会社 (2300kg/cm2クリア)※当時日本最大 |
1973年2月 | 三菱自動車工業株式会社京都製作所より、5段ミッション開発に伴うオーバートップギヤの生産要請を受け、機械設備及び人員派遣を行い、出張工場体制を整える。 |
1973年8月 | 中央研究所 生産技術センター完成。 |
1975年 | 船用エンジン低速(4万馬力~6万馬力)、中速(1万馬力~1万5千馬力)のクランク、カム歯車増産体制をとる。 |
1976年 | 宇宙開発事業団Nロケット2号機打ち上げの軌道修正レーダー、その他の歯車製造を担当する。 |
1977年 | 1979年消防法改正に伴う非常用ガスタービン発電装置 150kw~17000kw(川崎重工業株式会社 ジェットエンジン事業部製造)をもって、京都・滋賀・福井・富山の販売補充を目的とし、営業強化、規格宣伝。市場調査に着手。 |
1977年2月 | 宇宙開発事業団沖縄追跡管制所静止衛星追跡レーダー装置(ひまわり静止衛星)、エレベーション駆動装置、アニマス駆動装置を製作担当。 (当時日本最大) |
1978年7月 | MAN V型52/55A型ディーゼルエンジン15000馬力、国産1号機試作開発。クランクカム軸、駆動歯車を製作担当する。 |
1982年6月 | 三菱自動車工業株式会社5段ミッション生産台数100万台を越える。 |
1983年 | エネルギー対策、省エネ遊星歯車装置設計製作担当。 (通産機械技術研究所) |
1983年3月 | ターニング専門工場を新設。 |
1983年5月 | ハイポイド歯車精度AGMA13級をクリアする。 (13級は当時世界最高の精度) |
1986年 | 旅客機エンジン用歯車の生産開始。 |
1997年12月 | 客先からの要望を受け、自動車用歯車専門工場を設立。 少量多品種生産ラインを設備。 |
1998年~ | 限定発売車種「ランサーエボリューション」シリーズのギヤ生産を行う。 |
2004年3月 | 本社・吉祥院工場ISO9001:2000を認証取得。 |
2005年2月 | 産業用ロボット用歯車生産開始。 |
2005年5月 | 本社・吉祥院工場ISO14001:2004を認証取得。 |
2006年1月 | オハイオ州立大学 歯車研究所(GEAR LAB)スポンサー会議に初参加。 |
2010年3月 | ISO9001:2008に更新。(中央研究所 認証取得) |
2011年9月 | 新社長に林 誠一郎が就任。 |
2012年 | ドイツ国内最大手 フレクシス社と、中小企業向け生産管理ソフト開発に着手、IoTが社会で注目される時代に先駆けて、破格で提供できるソフト開発を行う。 |
2012年3月 | 本社・中央研究所・吉祥院工場JIS Q9100を認証取得。 オハイオ州立大学 歯車研究所(GEAR LAB)にスポンサー参加。 |
2013年6月 | ミッシェル・ティオバル氏(社長 林の恩師)の導きにより、世界最大の航空ショーパリエアショー2013に初出展。 |
2014年 | 国内工作機械メーカーと協業のもと、内歯車歯面クラウニング加工を実現。 アメリカ RUBICON GEAR社と業務提携開始。 |
2014年5月 | ドイツ フレクシス社からの招待を受け、ドイツ企業ブースよりベルリンエアショーに初出展。 |
2014年7月 | 高精細3Dプリンターを導入、開発支援のための顧客提案を開始。 |
2015年6月 | パリエアショー2015に出展。(2013年に続き連続での出展) |
2016年6月 | 京都航空宇宙産業ネットワーク(KAIN)発足。(現在9社) |
2018年3月 | JIS Q 9100:2016(ISO9001:2015)に更新。(全社 認証取得) |
2020年10月 | ISO14001を返上。KESへ移行 |